アレキサンダ・イングリッシュ・スクールのご紹介

 

アレキサンダ・イングリッシュ・スクールの責任者・本多隆が当スクールについて御紹介します。

学校の正面

 

アレキサンダー・イングリッシュ・スクールの歴史

ここでは、アレキサンダー・イングリッシュ・スクールの歴史を御紹介します。

【アレキサンダーの名前の由来】

ポールさん

新しい英会話の先生や生徒さんからよくアレキサンダー英会話(正式名称はアレキサンダーイングリッシュスクール)の由来を聞かれます。アレキサンダーという名前はアレキサンダー大王やアレキサンダー1世など何か荘厳な響きを持つらしく、どうもこの学校にそぐわないと思っている方が多いようなのです。

アレキサンダー英会話スクールはイギリス人の私の義兄、ポール・アレキサンダーからつけた名前です。事実、彼のお父さんはロシア革命後、ロンドンに亡命したロシアの貴族だということです。彼は、私の姉が英会話を習得するためロンドンに留学している時姉と知り合い、姉が帰国すると追うようにして1973年日本にやってきました。

1979年、私はここ荻窪に学習塾を開き、吉祥寺のテッパ英会話学院でフルタイムの英会話講師をしていた彼は、週1回でしたが学習塾の一貫として英会話レッスンを受け持ってもらいました。それが1986年義兄は突然他界し、学習塾の英会話部門はどうしようかということになりました。皆で相談した結果、新たに英会話部門と塾と独立させ、彼の名にちなんで新しい英会話スクールを設立することに決めました。アレキサンダーイングリッシュスクールの誕生です。

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【アレキサンダー英会話スクールの誕生】

学校の入口ドア

スタッフは私と、まだその時健在であった母、そしてフルタイムの仕事をしていて土曜日だけしか受け持つことのできない姉の3人で始まりました。本当の家族企業です。(今もあまり変わりませんが、、、)英会話学校を開校するには当然のことですが、ネイティブの英会話講師が必要です。英会話講師の募集広告の文面、ジャンパンタイムズへの広告依頼、応募者との英語による電話応対などすべて初体験でしたが、何とか面接にこぎつけました。

忘れもしない面接日、土曜日と日曜日の2回に分けての面接でしたが、東京はこの2日間十数年ぶりの大雪。それでも10名以上の応募の方があり、荻窪の有力な商店街の方の推薦があって1人の英会話講師を採用しました。

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【英会話スクールの分裂騒ぎ】

アレキサンダ英会話はその時の時流に乗り、また彼の努力もあって順調に英会話の生徒数を伸ばし、半年が経過しました。ところが英会話をビジネスと考えどんどん支店を増やしていこうとする彼と、1箇所でもいいから地元の方に愛される英会話学校にしていこうという私達家族との路線の違いから仲たがいしてしまいました。彼は同じ建物の別のフロアーに新しい英会話スクールを設立し、アレキサンダは真っ二つに分裂したのでした。

生徒はほとんど取られてしまいましたが(彼が教えているので当然です。)、私は対抗上ネイティブの英会話講師を5名いっぺんに採用し、月謝も半額にダンピングしました。こうして3年ほど英会話スクールは赤字が続きましたが(英会話の生徒1人に3人の英会話講師ということもありました。)、彼は最終的に荻窪を撤退していきました。

シェーン・バックリー ニコラス ミッチェル・グッドマン

彼があと一年我慢してアレキサンダで仕事を続けていれば、私は全く太刀打ちできず私の完敗に終わったと今でも思うのですが、彼からすればさんざん生徒を増やしておいてから、私に切られるというあせりもあったのかもしれません。私は彼を首にしようなどという気持ちは全くなく、そう思わせたのは私の不徳のいたすところでした。彼とは随分喧嘩もしましたし、分裂後随分いやな思いもしましたが、彼から教わったことも多かったのです。

彼は英会話ビジネスがどういうものかを私に教えてくれました。また、結果的にネイティブの英会話講師を多く雇い入れたことにより、それまで塾の補完的な英会話レッスンが一段と進んだ専門的な英会話学校に変貌を遂げることが出来ました。受講料も半額にしたことにより、この競争の激しい英会話業界でなんとか今日まで生き延びることもできたのです。

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【母の登場】

ナタリー

この騒動の後、私は母と姉から全く信用を失い、英会話の営業的な仕事は(電話応対、入会手続き、クラス管理等)すべて母の手に移ることになりました。その時母は63歳。それまで英語のえの字も知らない者が突然、英会話の勉強法、英会話上級者のトイック、英検対策等の相談者になったのです。

母は英会話学習については無知でしたが、幸いなことに50歳から一念発起して中国語を学び、中国語会話はほばマスターしていたので、これをヒントに皆さんに適切にアドバイス。また生来の社交好き、話し好きで、子供からお年寄りの英会話の生徒さん、ネイティブの英会話の先生から愛されました

母としては自分から望んでした仕事ではなく、姉が退社してここに戻ってきた時の場所を確保したい(私が英会話を運営しているとどうなるかわからない。)というつなぎの役目で続けていたのですが、母が働き始めて13年目突然亡くなってしまいました。亡くなる3日前までは英会話の仕事をこなし、少し風邪をこじらせ寝込んでいたのです。まだ健在だった父はどういう訳か「これは戦死だ?!」といっていました。でも考えてみれば幸せな死でした。

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【私の英会話現場復帰】

母の死後、すぐに私は母の英会話の営業的な仕事を引き継がねばなりませんでした。最初にしなければならなかったことは月謝等、経理関係の改善でした。母は英会話の生徒さんがお休みなどで損をさせるのを極端に嫌い、生徒さんに無料チケットを乱発していたのでした。また母が行っていた特別な生徒さんに対するサービスを、時間をかけて改善していきました。そして姉がフルタイムの仕事をやめて戻ってくるまでの3年、この英会話ビジネスに没頭しました。(そのせいか本業である学習塾はボロボロになってしまいました。)

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【アレキサンダー英会話スクールの現在】

今は母の予測どおり、姉が母の受け持っていた英会話の営業的な役割を果たし、また私の奥さんも(私の嫁という言葉には抵抗があります。)英会話の仕事を手伝い、この8年間厳しい環境にありながらも何とかみんなで営業を続けております。これもひとえに皆様方アレキサンダー英会話の生徒様のおかげだと大変感謝しております。

私は英会話講師の人事面(新しい英会話の先生の面接等)以外はすべて姉に任し、本来の学習塾の教授、経営にもどり、ボロボロになった塾の修復に務めています。
最後までお読み頂きまして有難うございました。

当スクールをもっと知りたい方へ

ここからは私、アレキサンダー・イングリッシュ・スクールの責任者、本多隆のつぶやきです。ご興味のない方はスキップしてください。

私の社会貢献

こんにちは。 アレキサンダーイングリッシュスクール院長の本多隆です。

荻窪に英会話スクールを開校して今年で24年目になります。また私事ですが2009年に還暦をむかえました。最近ではアラカンという新しい言葉が生まれました。意味はよくわからないのですが、おそらく人口が飛びぬけて多い特殊な世代(団塊の世代)自らが、自称した強い意味を持った言葉なのではないかと思います。

60年間が一巡してしまうと、今までよく何事もなく生きてこられたという安堵感と、それと同時にこれまで何も役に立つことをしてこなかったという一種の罪悪感めいたものが沸き起こってきました。これからは今まで無駄に過ごしてきた人生を少しでも世のため、人のために何か貢献しよう。しかし企業勤めの経験がなく、ボランティア感覚の欠如している私は積極的に地域活動に参加したり、サークルに入って皆と団体行動をする柄ではないのです。やはり今までしてきた仕事の中で、私に近づいてくる身近な人に何かためになることをして社会に貢献していこうと考えるようになりました。この近隣地域英会話入会金割引クーポンもその一つです。(この割引が社会貢献と考えているのではありません。)

数多くの英会話スクールから、我がアレキサンダー英会話スクールを選んでいただいた方に対して出来る限りのサポートをしていくこと、、、、。これが私の残りの人生の社会貢献だと思うのです。

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近隣地域と私

私は三鷹と吉祥寺の間の下連雀というところで生まれ、2歳の時に吉祥寺と西荻窪の境目の吉祥寺本町に移り、また4歳の時に三鷹の上連雀に戻り、高校生になると荻窪の本天沼、大学生の時に荻窪、そしていまは上荻に住んでいます。英会話を習得するためロンドンに2年間遊学している期間を除けは、子供時代に、三鷹に12年、吉祥寺に3年、あとは荻窪に40数年、とほぼ60年この中央線沿線にいたことになります。企業勤め経験がほとんどなく、29歳で塾を開いた私は通勤で都心に行くこともなく、ほとんど毎日自宅と学校を歩いて通っていたのです。我ながら随分味気ない生活をきたものだと思いますが、40年以上住んでいて今も住んでいる荻窪が我が町とすれば、小・中・高校時代に住んでいた三鷹は我が故郷、吉祥寺、西荻窪、阿佐ヶ谷などが私の近隣の町になります。また、何度も遊びに行った新宿や、学生時代を過ごした早稲田は私の周辺の町になります。これは正に今回発行の英会話入会金割引クーポンの近隣地域と合致するのです。

今回は幼児時代に住んでいた吉祥寺と阿佐ヶ谷’NET(私がだしているタウン紙)でお世話になった阿佐ヶ谷を私の思い出の近隣地域として取り上げてみたいと思います。
併せて、アレキサンダー英会話の今日までの道のりを「アレキサンダー英会話と私」として掲載致します。

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【私の吉祥寺】

吉祥寺の写真・その1 吉祥寺の写真・その2 吉祥寺の写真・その3

私は幼児時代(2~4歳)に吉祥寺本町に住んでいましたが、ほとんど憶えていません。子供時代は隣の三鷹に住んでいましたので、吉祥寺とは隣の都会的な町というイメージで、ごくたまに母親に吉祥寺の映画館に連れて行ってもらったりしました。子供のために映画館に連れて行ってくれたというよりは何か事情があったようです。高校時代は途中から荻窪に引っ越したので、吉祥寺は高校の通学路になりました。学校をさぼっての吉祥寺の映画館通いもその頃です。当時吉祥寺には映画館が6、7軒あって、主に通っていたのが吉祥寺オデオン座です。(今ネットで調べたのですが、まだ吉祥寺オデオン座が東亜興行チェーンの中にあることを知ってビックリしました。)

それが大学生以降はプッツリ!吉祥寺は近くに住んでいるのに一挙に縁遠い町になってしまいました。吉祥寺に行かなくなった理由は、おそらく中央線を下るよりは上る方がなんとなく気分がいいし、(失礼しました)吉祥寺より新宿に魅力を感じたせいでしょう。ですから私の吉祥寺は高校生の時のイメージのままです。
さて、私の吉祥寺ベストファイブは

  1. 井の頭恩賜公園
  2. 吉祥寺オデオン座(現東亜興行チェーン)
  3. 吉祥寺名店会館(現東急デパート)
  4. 玉川上水(吉祥寺界隈)
  5. 吉祥寺近鉄裏路地スナック(現在、吉祥寺近鉄はありません)

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井の頭公園

井の頭公園の写真・その1 井の頭公園の写真・その2

吉祥寺駅南口の道をまっすぐ井の頭通りを通り抜け、伊勢屋の支店を右手にみながら下る入り口と、玉川上水の萬助橋から森林(ここも公園だと思います)を通ってそこから下る入り口をよく使っていました。他にも井の頭駅(井の頭線)からいく方法など数箇所あると思います。

今でも年に1回は訪れていますので、もう5,60回は行っていると思います。それと高校生時代は吉祥寺は学校の通学路にあたっていましたので、吉祥寺南口バス停留所(丸井吉祥寺店の所)から学校までそれこそ毎日バスで、公園と動物園の間の道を往復していました。

小学1年生の時の遠足も思い出深いのですが、なんと言っても一番の思い出はアレキサンダーの英会話の生徒さんと英会話の先生でお花見パーティーをしたことです。もう20年以上も前のことになりますが、その頃私共本多セミナー(英会話スクールの併設校の塾)に、井の頭公園の真向かいにある神社の神主さんの息子さんが塾の講師としてアルバイトをしていて、彼に朝から場所を陣取ってもらい、最高の場所でお花見パーティーを開くことができました。でも考えてみますとあの時は体力がありましたね。お花見で食べる食事を学校で全部作り、それからその食事や、お酒、お花見で使う機材などを荻窪から吉祥寺まで電車を使い、公園まで素手で運んだのですから。

あれから20数年、今もなおあのお花見パーティーに参加された英会話の生徒さんの何人かがアレキサンダーに通ってくださっております。ありがたいことです。英会話の先生もミッチェル・グッドマン先生は今も尚健在です。
今はアメリカに帰ってしまっている英会話の先生、G.A.先生の実践英会話教室「サクラの花」を再掲載して井の頭公園の項を終わりにしたいと思います。

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【実践英会話教室「サクラの花」】

花見の写真

今は梅の花が満開ですが、サクラの花が満開になるのももうすぐでしょう。多くの人々がどこかのサクラの木の下でパーティーを開くでしょう。

日本語の”お花見”は英語に直すのに問題があります。ある人たちは、花を鑑賞することから”cherry blossom viewing”(サクラの花の鑑賞)を使いますが、お花見の飲み会は何と言うのでしょう?

” A cherry blossom viewing party”(サクラの花鑑賞パーティー)は正確だが、長いフレーズです。(多くのネイティブスピーカーは英会話では”ohanami”と日本語を使っています。

単にa partyやa party in the park,と言って、もし必要ならそのあとに少し言葉を付け加えれば英会話としては良いと思います。

例:
We're having a party in Inokashira Park this Saturday.
(今度の土曜日、井の頭公園でお花見をします。)
I went to a party in Koganei Park last weekend. The cherry trees were gorgeous.
(私は先週の週末、小金井公園にお花見に行きました。サクラはとても美しかったですよ。)

お花見に行くときは、飲みすぎないようにね! 次の日、have a hangover(二日酔いになる)といけないから!

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【私の阿佐ヶ谷】

阿佐ヶ谷の写真・その1

私にとって阿佐ヶ谷とは、学生時代に通った友人のアパートS荘の思い出と8年前に発刊した月刊紙「阿佐ヶ谷‘NET」のかかわりにつきます。

子供時代私は三鷹に住んでいましたので、阿佐ヶ谷とのかかわりは薄く、一度も阿佐ヶ谷駅に降りた記憶はありませんし、また高校生の時に荻窪に越してきましたが、隣町の阿佐ヶ谷へ行く機会はほとんどなかったのです。それが大学の三年になって、友人が阿佐ヶ谷に越してきて、彼のアパートは彼の従兄妹や友達らの溜まり場になってしまいました。私も週に1,2度は顔を出し、月に1回は泊まったりしました。彼が卒業して郷里に帰ってからは、阿佐ヶ谷はまた元の無縁の町になりました。

それが2002年の4月に月刊紙「阿佐ヶ谷‘NET」の発刊以来、学生時代の時より一層深く「阿佐ヶ谷」という地にかかわりを持つようになりました。

私にとって阿佐ヶ谷ベストファイブは

  1. 阿佐ヶ谷‘NET
  2. 阿佐ヶ谷北のS荘
  3. 中杉通り
  4. 旧中杉通り
  5. 日本料理 神戸「鈴江」

になります。

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【阿佐ヶ谷ネットと私】

阿佐ヶ谷ネットの創刊

2000年の9月私は友人と2人で月刊紙「荻窪‘NET」を立ち上げました。その理念は「21世紀における杉並地域の活性化に向けて、情報公開及び高度化の一員たるべく邁進する。」、また事業内容は「紙媒体とインターネットによる地域情報の活性化とそれに付帯する広告業務」と高邁なものでしたが、簡単に言えば、紙面とインターネットを使ってそのころはやりのベンチャー企業を目指したものです。友人が編集長になって紙面の企画・営業・製作・編集を担当し、私が経理など主に管理部門を担当して役割を分担したのですが、資金面以外は実質上彼が紙面を統括し、私はその手伝いをしたといったところでしょう。私はむしろ今も運営している学習塾と英会話スクールの広報活動の一助にでもなればという軽いスタンスでした。

「荻窪’NET」は順調に売り上げを伸ばし、予定通り1年半後に「阿佐ヶ谷‘NET」の発刊にこぎつけました。

「阿佐ヶ谷‘NET」を発刊する前にはすることがたくさんありました。先ずはポスティング(紙面配布)の正確な地図の作成でした。

青梅街道の左右の阿佐ヶ谷南と成田東、中杉通りを左に北上し駅を抜け、阿佐ヶ谷北1丁目から5丁目までをくまなく歩き世帯数を確認していきました。次にすることは商店への営業活動。人員が少ないため営業経験のない私も駆り出されました。創刊してからは、ポスティングの欠員が出たときの配布要員として阿佐ヶ谷の町を駆けずり回りました。

そのおかげもあって今や阿佐ヶ谷は荻窪の次に精通する町になりました。

中央線杉並'NETの創刊(願望)

今は残念ながら「阿佐ヶ谷‘NET」は1年ほど休刊しておりますが、今度は気分も新たに高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺の一部を含めた「中央線杉並’NET」(仮称)を近い将来立ち上げる予定です。年寄りの冷や水とお笑いでしょうが、人間は死ぬ直前まで頑張るのです。乞、ご期待ください。

創刊号の紙面【阿佐ヶ谷vs荻窪】

今改めて「阿佐ヶ谷‘NET」の創刊号を開いてみますと、その頃お付き合いして頂いたお店の何軒かがすでに存在していないこと、(力不足で申し訳ありません。)また編集長による1面のIT時代の記事など隔世の感がいたします。やはり8年間の歳月は長いものだと実感いたしました。ただ、4,5面の記事「阿佐ヶ谷vs荻窪」は名文で、(そのころ、お手伝いいただいたKさんの記事)今でも十分通用する阿佐ヶ谷と荻窪の相違点だと思いますので、これを再掲してこの項の終わりとしたいと思います。

阿佐ヶ谷vs荻窪の記事

画像あるいはこちらをクリックすると記事を読めます。
(PDFファイル:291KB)

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